6年間の過ごし方
★6年間をどのように過ごしたのか、まったく参考にならないリアルな現実を書き連ねています。当時の想いとともに。
★1年目〜
高校当時に狙えるレベルの私立大学ではなく、地元のFラン私立大学に入学。
大学のランクが底辺だろうが、受けられる薬学の講義はどこの大学でも同じだと思っていたので、特に恥じることも劣等感を抱えることもなく6年間過ごしました。
確かに大学の序列はありますが、文系とは異なり、薬剤師になってしまえば何も関係ありません。
薬剤師になってからの行動で評価される社会だと思っています。
よくFラン大学という言葉を耳にしますが、結局はその大学の中で自分がどのように振る舞うかだと思います。
Fランという言葉や大学全体の雰囲気に飲み込まれてFランらしく振る舞うのか、他人と馴れ合い過ぎずに自分らしく振る舞うか。
ただ、最初は高校とのギャップを感じてしまったのは事実です。
世間には様々な人間がいるということを社会に出る前に学べたのは良かったです。多くの同期が留年し、退学していきました。除籍された人もいます。
会話のレベルや文化の違いというものに戸惑うことも最初はありましたが、6年目の今となっては誰一人として欠かすことのできない大切な仲間です。
そして、これは個人的な分析ですが、最初の友達がその後の成績に影響するような気もします。
特に友達を選んだわけでも、選ばれたわけでもありませんが、私の周囲はトップ10〜50くらいの「単位を落とすことがない」人たちでした。
他のグループを見てみても、大体グループ内のメンバーの成績は似通っていました。
自分の1年目の勉強姿勢は非常に真面目だったと思います。
入った直後というのはやる気に満ち溢れていて、大学の雰囲気にも染まらず、一番頑張っていた時期でした。
そして、国試や試験に受かることが目標のような学生が多い中、私は一貫して「薬剤師となってからのこと」を考えていました。その考えに影響を与えたのが、高村徳人著「がんばろう薬剤師」という一冊の書籍です。
もっと早い時期にこの本を読んでいたら、と当時(1年目の最後)は思っていました。
★2年目〜4年目
ここで、私の勉強スタイルが確立されます。
それが「徹夜・一夜漬け」。
想定したよりも試験の内容が易しかったため、「これでいい」と脳が判断するようになりました。
慣れというのは怖いもので、気付かないうちに長期間努力を継続できない身となりました。それを痛感したのが6年目。国試に向けた勉強を1年かけてやる、という大学の方針に全くついていけませんでした(後述)。
大学では成績上位者の名前が公開されるため、周りから私に対する評価は「頭のいい人」でした。
「1日どれくらい勉強してるの?」「勉強法を教えて」とよく言われましたが、徹夜で一夜漬けなので誰も参考にならないばかりか、事実を伝えても「そんなはずないでしょ〜」と信じてもらえませんでした。
これは卒業間近の現在でも同じです。
同期や教員から完璧な人間としてのイメージを持たれているため、それが少し辛いこともありましたが、最後まで外面だけは「優秀」な役目を引き受けています。
★5年目
私は4年目冬〜6年目夏の約2年半、研究活動を行っていました。
私立大学では卒業研究をここまでやるのはかなり珍しいと思います。
いわゆる、ブラック研究室(研究班)として有名でした。
ですが、担当教員が薬剤師激戦地域から来た新任の方で、バリバリ臨床の薬剤師だったため、これが「全国の普通」なんだということに気付くことができました。
この時に、私はこの大学全体の雰囲気に飲まれていたことに気付きます。
この担当教員との出会いは、大学6年間の中で最も自分に影響を与えました。良い意味でも、悪い意味でも、私の人生はこの教員によって変化したと言って過言ではありません。
詳しくは述べられませんが、とにかく薬剤師、研究者としては完璧な人でした。
この時期は研究と実務実習のみで、勉強は一切していません。
★6年目
国試対策が始まると、自分の勉強時間を申告しなければならない謎のシステムが開始されました。
テスト直前からしか自分で勉強する習慣のなかった私は、当然、ゼロです。
どうやら、この頃から教授会などで問題児として扱われるようになったようです(笑)
勉強しようとしても、やる気になれません。
「やる気にならなくても国試勉強はやるんだ!」と教員は私たちに向けて叱咤していました。
確かにそうなのですが、不思議とやる気にならない。
今思うと、軽度のうつ状態だったのかと思います。
6年間の中で最も勉強しなかったのが、この6年目でした。
常にスマホを深夜までいじって、1日が終わる。家族に「勉強しないの?」と心配され、親しい友人や教員にも呆れられるほど。
もちろん、授業や薬ゼミの講義はフルで出席していました。
6年間、無遅刻無欠席。受けられる自由科目の単位もほとんど取っていました。根は真面目です。
ただ、どうしても一夜漬けの習慣は改めることができませんでした。
そうして、薬ゼミの全国統一試験1〜3がありましたが、ほとんど勘で回答。薬理や病態などは最たるものです。
勉強していないので、当然、点数は変わりません(226点→230点→226点)。
卒業試験も同様で、最後の最後まで一夜漬け&浅漬け(試験当日の朝に詰め込む)でした。
加えて、実務実習をやり直したい(もっと学びたかった)と思ったのも、国試対策が始まってからでした。
★国試前の最後の月曜日〜国試(土日)
ここでようやく、勉強しなくてはならないとスイッチが入ります。
薬ゼミ模試の結果から、このままではギリギリ合格、下手すれば不合格。
もし不合格になれば、どれほど家族にショックを与えることになるか。そして、6年間の成績を知っている親戚たちからどのような扱いを受けるのか。
絶対に落ちたくない、絶対に合格しなければならない、というストレスとプレッシャーが一気にのしかかり、胃腸は絶不調に。
3日ほどかけて薬理だけ青本を1周し、ファーマプロダクトの完全ナビを過去5年分、必須だけ解いて解説を読む。
ちなみに、必須問題だけなら1年分を70分ほどで解き終わります。解説を読むのを込みで。
国試2日前は、不安のピークでした。
「薬剤師国家試験 ギリギリ」などでブログを検索し、過去の先輩たちがどのようにして国試に受かり、落ちたのか確認しました。
どのブログを読んでも、当然ながら血の滲むような努力をし、薬ゼミ模試の点数も伸びている。
「勉強しなかった人が受かったというのはありえないし、見たことがない」という趣旨のブログもありました。
焦りはありましたが、この1年の過ごし方に後悔はありませんでした。
後悔したら負けだと思っています。
国試浪人になってもう1年勉強するなど、自分には恐らく不可能だと確信していました。
会場近くのホテルへの移動日は、久しぶりに友人たちと会話をしました。
国試への不安は、この時ばかりは忘れて笑い合うことができました。
友人の大切さを痛いほど感じた瞬間でした。
そして、本番。
直前まで知識を詰め込み、覚悟して臨みました。
必須が終わり、9割超えと合格を確信し、焦りと不安はほぼゼロに。
その後は「104回の感想」のブログで述べている通りです。
国試を終えて交通機関で自宅へ戻る間、実践②までの自己採点をして、自己採点上での合格が確実になり、私の国試生活は終わりました。
まとめとして、私の6年間は以下のように変遷していきました。
・1年目…意識が高い
・2〜4年目…最小の努力で最高のパフォーマンス(徹夜)
・5年目…研究
・6年目…廃人
6年間を通して思ったことは、人との出会いが多いほど良くも悪くも人生や生活の質が変わるということ。
私は最後の最後で「何もできない、やらない」という現象に直面しましたが、こんなパターンの方はほぼいないでしょう。
他の年に国試を受けていたら、薬ゼミ模試のような問題が国試で出たら、きっと結果は違っていました。
勉強して損することはありません。
努力はきっと裏切らないです。